詩篇第71編を学びました。
今井牧師が東京教会週報に以下のメッセージを掲載しています。併せてお読みください。
なお、ブログに掲載した今井牧師のメッセージなどが読みにくいとの指摘があります。
できるだけ早く改善いたしますのでご容赦ください。
「人間らしく」 日本キリスト改革派東京教会牧師 今井 献
一週間前(5/13)の朝日新聞社説は「一体改革審議入り-上手に死ねる社会にする」という表題で、国会で審議がはじまる社会保障改革関連法案に関して論じていました。
社説によると、09年に亡くなった人数は114万人。2030年には161万人になる。75歳以上では一人暮らしが4割をしめ、認知症の高齢者は今の1.7倍の350万人になる。病院で死ぬ人は89万人、介護保険施設でみとられる人は9万人、自宅で亡くなる人が20万人。では、残りの40万人はいったいどこで最後を迎えればよいのか。現在の高齢化社会は近々「多死社会」になる。
「多死社会」とはきつい言葉だと感じましたが、将来にそなえて表題のとおり「上手に死ねる社会」をつくることが政治の責任である、というのが社説の主張でした。また、「上手に死ねる社会」とは、公共の福祉という観点から見て、人間らしく生き、死ぬことのできる社会のことだと考えれば、もっともなことだといえます。
何が人間らしい生と死であるかは見方によって違います。キリスト教信仰の観点から考えるなら、神に創造され、神の似姿を与えられた人としての生であり死です。それは、神を知り、神を得て生き、世を去っていくというありかたです。
人は、神から命の息を吹き入れられて生きる者となったと聖書が教えるとおり(創世記2:7)、霊的存在です。霊的存在であるとは、食べて満腹するだけでは満足できない、自分らしいと感じることができないということです。よく「太ったブタより痩せたソクラテス」といわれますが、生きる意味を問い続けるというような、ある種の精神的探究による自分自身の意味づけなしに、人は満足できません。その理由は、人が霊的存在であるからです。
霊的な達成感あるいは平安は、神によって与えられるものです。神を知り、祈り、あがめることにより、人は霊的存在として完成します。人の生涯は、ただ生きるためというより、神を見いだすためにあるともいえます。人間らしい生と死は、神の内にあります。
なお、来週は、ペンテコステ記念の礼拝です。
「自分で判断しなさい」をテーマに、
コリントの信徒への第1の手紙第11章2節から16節を学びます。